【茶器/茶道具 抹茶茶碗】 萩焼き 坂高麗左衛門作(松本窯) 御物袋入

   

サイズ約縦14.9×高7.9cm 作者12代 坂 高麗左衛門(松本窯) 付属品御物袋入 箱木箱   (山目り) 【コンビニ受取対応商品】12代 萩焼とは 文禄・慶長の役後の江戸時代初期、毛利藩の保護のもとで李敬(坂高麗左衛門)と李勺光(坂倉新兵衛)の李朝の陶工達により現在の山口県萩市松本に開窯され、後に長門市深川等に伝えられる。

萩茶碗は、日本人の侘び茶にかない、萩の七バケといわれ、茶人に愛された。

主原料である山口県内防府市大道産の白色粘土との相性が良かった。

現在も松本萩・深川萩と伝承されている。

【松本萩焼(御用窯)】 坂家は松本御用窯(松本萩)の名門です。

1625年寛永2年に李敬は2代 藩主・毛利秀就より「高麗左衛門」の名前を賜りましたが、通称として「助八」を名乗りました。

初代以後も2代・5代・7代は「助八」、3代・4代・6代・8代は「新兵衛」と、助八か新兵衛のいずれかを名乗りながら明治に至ります。

2代〜8代までは「高麗左衛門」を使用せず、明治に入って9代以降が使用しています。

【初代 坂高麗左衛門(李敬)】 1568年永禄11〜1643年寛永20 【2代 坂助八(忠李)】 1617年元和3〜1668年寛文08 【3代 坂新兵衛(忠順)】 1648年慶安元〜1729年享保14 【4代 坂新兵衛(忠方)】 1683年天和3〜1748年寛延元 【5代 坂助八(忠達)】 1722年享保07〜1769年明和06 【6代 坂新兵衛(忠清)】 1739年元文04〜1803年享和03 【7代 坂助八(忠之)】 1774年安永03〜1824年文政07 【8代 坂新兵衛(忠陶)】  通称を新兵衛、号を翫土斎・松翁 1799年寛政11〜1877年明治10 文化・文政年間 1804年〜1830年には磁器窯が多く興りますが、三輪家と共に御用窯としての衿味を保ちました。

1826年文政09 藩主より大坂出仕を命じられ、京都の有栖川宮の御前で陶技を披露します。

       また、有栖川宮家所蔵の名器を調査して写しを造りました。

       幕末から明治への激動期を乗り切り、萩焼復興に貢献した名工として名高い 【9代 坂高麗左衛門 (本名 道輔 号 韓峯・韓岳)】 1849年嘉永02〜1921年大正10  9代 坂高麗左衛門は8代 坂高麗左衛門の孫として生れる 1877年明治10 9代 坂高麗左衛門を襲名する 1915年大正04 大正天皇御大典記念京都博覧会の出品作品が宮内省に買い上げられました。

 松下村塾の幼年組の一人として、吉田松陰が江戸へ護送される直前に薫陶を受け、青年期は明治維新の変革の中に過ごしました。

 萩藩御用窯の坂家も廃藩置県により藩からの援助がなくなって独立自営を強いられますが、御用窯廃止という危機を乗り切り、各地の内国博覧会に出品して名声を高めていきました。

【10代 坂高麗左衛門 (本名 秀輔、号 韓峯)】 1890年明治23〜1958昭和33 1890年明治23年 10代 坂高麗左衛門は9代 坂高麗左衛門の次男として山口県萩市に生れる 1909年明治42年 山口県立萩中学校を中退し、父に師事して作陶に従事する 1914年大正03年 大正博覧会に出品したガマ仙人置物が宮内省に買い上げられました。

1915年大正04年 大正天皇御即位奉祝品として萩町献上の花瓶一対を制作する。

大正天皇御大典記念京都博覧会に出品した菓子鉢が宮内省に買い上げられました。

1916年大正05年 福禄寿置物が宮内省に買い上げられました。

1920年大正09年 李王世子殿下御婚儀奉祝品として山口県献上の高砂尉と姥置物を制作しました。

1921年大正10年 10代 坂高麗左衛門を襲名する。

1922年大正11 皇太后陛下が香椎御参宮の際に置物が、平和記念東京博覧会に出品した水指が宮内省に買い上げられました。

1924年大正13 今上天皇御成婚奉祝品として萩町献上の高砂尉と姥置物を制作する〜北白川宮大妃殿下が萩町行啓の際に番茶器と湯沸と水注を買い上げられました。

1925年大正14 秩父宮殿下が山口県行啓の際に萩町献上の抹茶碗一対を制作する〜万国装飾美術工芸パリ博覧会で銀牌を受賞しました。

 聖徳太子展覧会委員を委嘱され、総裁久邇宮より香合を授かりました。

1928年昭和03 天皇陛下御即位御大典奉祝として個人献上を許されました。

1943年昭和18 工芸技術保存資格者として選定されす。

1946年昭和21 高松宮殿下が萩市行啓の際に萩市献上の抹茶碗を制作し〜1947年(昭和22)、天皇陛下が山口県行啓の際に山口県献上の天人風炉と富士形釜を制作しました。

 他家から格式ある萩焼宗家を襲名した重い伝統に対する創作哲学には、血脈によって家業を継承する他の伝統窯の当主達とは違った厳しさと責任がありました。

【11代 坂高麗左衛門 (本名 信夫 号 韓峯)】 1912年明治45〜1981年昭和56  11代 坂高麗左衛門は林利作の三男として山口県に生れる 1941年昭和16年 帝国美術学校(現:武蔵野美術大学)を卒業し、山口県立大津中学校に美術講師として勤務しました。

1948年昭和23年 10代 坂高麗左衛門の次女と結婚し、江戸時代からの萩焼宗家に入りました。

 山口県立大津高等学校の退職後は義父に師事して作陶の道に進みました。

1956年昭和31年 千家同門会山口県支部理事を就任する〜山口県美術展で知事賞を受賞する。

1958年昭和33年 11代 坂高麗左衛門を襲名。

1965年昭和40年 萩市文化財審議会委員、萩市観光審議会委員を委嘱される。

1968年昭和43年 一水会賞を受賞し、一水会正会員となる。

1969年昭和44年 山口県美術展審査員を委嘱さる。

1970年昭和45年 奈良東大寺の晋山式の際に抹茶碗400個を献納しました。

1971年昭和46年 日本工芸会正会員になる。

1973年昭和48年 福岡県美術展審査員を委嘱されました。

〜山口県芸術文化振興奨励賞を受賞しました。

1975年昭和50年 山口県指定無形文化財に認定される。

 萩ロータリークラブ会長を就任しました。

〜山口県知事選奨を受け、元々は洋画家で旧制中学、新制高校で教鞭を執った美術教師として奉職していましたが、江戸時代からの萩焼宗家に入ると厳しい鍛錬の中で名実共に重みある伝統を継承しました。

【12代 坂高麗左衛門 (本名 達雄 号 熊峰)】 1949年昭和24年 東京新宿に生 1978年昭和53年 東京芸術大学大学院絵画科第四研究室修了 1983年昭和53年 京都工業試験場窯業科陶磁器研修生修了 1984年昭和54年 山口県萩にて作陶を始める 1988年昭和63年 伝統工芸新作展:NHK山口放送局賞受賞 1988年昭和63年 12代 坂高麗左衛門襲名 1994年平成06年 日本工芸会正会員  日本橋三越・高島屋等で個展多数 2004年平成16年7月26日没・享年54歳 【13代 坂高麗左衛門】 2011年平成23年04月 11代の4女坂純子(12代の義妹)が13代を継承

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